地味な女子の読書とか映画とか。

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司馬遼太郎:花神

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司馬 遼太郎

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わたしもお豆腐大好き
…とのっけからこんな頭の悪い書き出ししか出来ないくらい
時間が空くと書き方忘れちゃうよねー。鳥頭だから。
というのも、前にこれを読んだとき、
妙にこの豆腐のシーンが頭に残ってたのです。
適塾の、一人あたり一畳の空間で、
豆腐をつまみに、一人黙々と酒を飲む、村田蔵六こと大村益次郎
彼は、明治維新の前後に天才的な軍事の才能を持ち
戊辰戦争では、江戸総攻撃のときに
江戸という大都会を滅ぼさない戦術を編み出した。
そして出世しても、ただひたすら豆腐を愛した。
「これだけですごい栄養があるんだから、他は必要ない」ってね。

出身は長州藩。
あの、高杉晋作や伊藤博文、井上馨や桂小五郎と同じ。
でも彼は、小さな村の町医者として生まれ
そしてその町医者を継ぐだけの運命だった。
それが、大阪の町に出て、適塾蘭学を学び、
天才的な才能を発揮し始める。
それは医術よりもむしろ軍事学の方で。
でも長州藩は彼の身分が低かったせいもあって
全然彼のことなんか眼中になかった。
だから晋作達と絡むこともなく
彼を必要とした他藩に赴いては
とぼしい文献だけをたよりに蒸気船を作ったりしていたのね。
彼の才能とは、何の感情も込めることなく
数字や理論で全てをはじき出すこと。
ともすれば感情的、観念的になりがちな志士達の中で
彼のその才能は異端だった。

そんな彼と絡んでくるのが、シーボルトの娘、イネ。
蔵六とイネの間にふわりと漂う恋の香り。
だけど、蔵六はすぐに数字や理論で物事を考えがちだし
イネもイネで、蘭学を学んだり先進的な医学を学ぶ
当時では異常な女性だったから
二人の間に愛の語らいはなかった。
その代わり、延々と外国の学問について語る。
最初は蔵六が教え、やがて蔵六が医術から軍事の方に変わってからは
イネが長崎で学んだ最新事情を蔵六に語る。
それがこの二人のコミュニケーションだった。

やがて彼は長州藩に戻り、
維新の歴史に登場する。
必要なこと以外を全く喋ることのない蔵六は
多くの志士達の間に軋轢を生みながらも
(それが原因で殺されたようなものだけど)
その才能は、皆に知られ
幕府側の勝海舟ですら
「あっちには大村益次郎がいる。こりゃ勝てないよ」と口にする程だった。
そして、維新の混乱の中、
蔵六は、一つの予言をしていた。
「やがて西郷は、明治政府に反旗を翻すだろう」
当時は、まだ政府もできたばかりだったし
西郷も普通に明治政府にいた頃だ。
征韓論どころでもない頃。
多分、彼がこれを口に出したなら皆一笑に付しただろう。
でも、蔵六は、大阪に軍事力を配備しておいた。
その後、すぐに蔵六は死んでしまうのだけど
それが10年ほど後に役にたつことになった。

蔵六が学んだ適塾には同じ頃、福沢諭吉もいたのね。
で、当時蘭学というのは大阪の適塾が一番で
彼らが江戸に行くときには
「江戸に学びに行くんじゃない。教えに行ってやるんだ」
ていう気概があったんだけど、
その頃横浜が開港して、イギリスやアメリカが横浜に
商館を建てていた。
そこに乗り込んだ諭吉は自分が学んだオランダ語が
全く通じないことにショックを受けて
「これからは英語だー」と突然英語を学びだすところなんか
すごく面白いと思う。

当時の人々は、長崎から入ってくる
ちょっぴりの本だけで、外国の知識を得ていた。
そこから様々なものを想像し、そして創造した。
蔵六は武士ではなかったから剣も使えなかったし
馬にも乗れなかった。
だけどその本達の中から、近代的な軍備を作り上げた。
彼らの才能は、明治、大正、そして戦後の復興まで
脈々と日本人の中に流れていたものかもしれない。

蘭学を学んで、江戸に行った人々は
人や時代に求められるまま様々な分野で活躍する。
その最初に、塾を作って人々に教えることがあるのね。
福沢諭吉の慶応義塾なんてその代表的なもの。
そして、蔵六も塾を持った時期がある。
その名前は「鳩居堂」。
そう、あの素敵な和雑貨を作っている「鳩居堂」。
蔵六はこっちの「鳩居堂」とは直接関係はしてないけど、
もし蔵六が塾を閉じることなく教育の世界にいたとしたら
鳩居堂大学、っつーのができていたかもしれないねぇ。





★ちなみにこの写真が適塾。
 横の方には緒方洪庵の像もあるんだけども
 サラリーマンの憩いの場になってるもんで
 写真はとれなかった小心者のおいら。
 つーか写真でかいな。

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この記事に対するコメント

あと、
「夏は暑いものです」っていうのが印象に残ってます。夏になると使ってしまう・・・。
この本で読むとかっこいい
男ですよね。
こっちを先に読んだから西郷の魅力がわたしにはわからないのかも・・・。
かっこー | 2005/04/17 11:13 AM
◆かっこーさん

そうそう!
「暑いですねぇ」
「夏は暑いものです」ってやりとり。
使うんだ…笑

そうそう、西郷はいまいちわからないんだよね。
その感情が人より大きいとか言われてもー
うたぎく | 2005/04/17 2:06 PM
けっこうかかったけど、10年ぶりに再読。
途中、宇和島城、砲台、伊達博物館、
卯之町にある二宮敬作の家(現在は一般の民家)を
見に行くなど
(ちなみに、砲台はいま臓器移植問題で揺れている某病院のすぐ近く)、
なかなか楽しかった。
蔵六が襲撃されたところも会社から近かったし。
担当エリア内にある蔵六の墓へお参りに行けなかったことが心残りだな。
しょっちゅう前を通ったのに…。
前・京都 | 2006/12/16 8:13 AM
な、なに・・・街道を行く?w
大阪の肥後橋のほうに
蔵六の塾跡があるんだよねぇ。
一回だけ前通ったんだけど
写真とっとけばよかったよう。

うたぎく | 2006/12/17 12:16 AM
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