ちーままさんに貸して頂きましてん。
太地喜和子という女優をわたしはあまり知らない。
田宮二郎版の「白い巨塔」に出ているのを見るだけだ。
でも、そこに出てくる彼女は、山崎豊子の原作を凌駕するような
ものすごい存在感とかわいらしい色気に満ち溢れていた。
彼女の色気をこの本では「柔らかく刺すような色気」と書いてあって
なるほど…と思った。
一歩間違えばぼさぼさのような頭に、濃い化粧。
下着のようなドレス。
でも田宮二郎に絡みつく喜和子は、「かわいい女」だった。
決して色気のある女を演じよう、とかそういう雰囲気ではなかった。
まるで地のような。
だから、田宮二郎が自殺したとき、彼の奥さんと
彼の死体を挟んで川の字になって寝た、という話も
本当か嘘かわかんないけど、やってもおかしくないなぁと思った。
そして、奥さんにそれを許させてしまうような、そんな女だった。
太地喜和子は基本的には舞台女優で、
当時、彼女の舞台を見ていた人なんて全人口に比べたら
そんなにいないんだろう。
こういう舞台関係ってほんと都会のものだもんなぁ…
だから私は彼女の「生」の姿は見たことがないんだ。
だから、途中まではちょっと困りながら読んだんだけど。
舞台のセリフなんかが抜書きされているけど
何せわからないもんだから何の感慨もなく。笑。
けど、途中から、彼女のわかりやすいほどの女優魂に打たれた。
幸せな家族の中に育ってきたにも関わらず。
「女優というのは、薄倖なところから出てくる野の花のような…」
というイメージを自分に植え付けて、
あらゆるところで「本当の母はどこに…」なんて話を繰り広げる喜和子。
ひとつの役柄に入るために、参考映像を毎日毎晩、
狂ったように見入る喜和子。
どこまで彼女が男好きだったのか、
それとも「男好きの太地喜和子という女優」を作っていくためなのか。
雑誌のインタビューでは次々と蓮っ葉な発言を繰り広げる喜和子。
台本に納得がいかないと、噛み付かんばかりに暴れる喜和子。
喜和子自身が、「太地喜和子」という女優のプロデュースをしていた。
もう見ることはできないけれど、
そんな喜和子の舞台は、
毎日毎日が命を削っていくようなものだったのかもしれない。
巻頭に、いくつかの舞台の写真がある。
それぞれの喜和子はまるで別の人間だ。
ひとつは芸妓さんのように。
ひとつは歌舞伎の女形のように。
あるときは、田舎のかわいらしい元気な娘。
下町の不良娘。
そして恋するお姫様。
それは衣装だけで区別のつくものではない。
「太地喜和子」という名前ではない、それぞれの役柄の姿だ。
(ま、話がわかんないんで推定ですけどね)
今の若い女優で、誰がここまで色んな人間になれるだろう。
やがて喜和子の目は光を失い始める。
緑内障だ。
どんどん見えなくなることにあせり始めて、
女優としての喜和子は、歌舞伎にヒントを求める。
歌舞伎役者は、慣れた演目であれば型があり位置も決まっているから
目が見えなくなってもできるらしい…
そして、喜和子の演技に「型」がついてしまった。
それは今まで命の躍動が売りだった喜和子の演技から
精彩を奪ってしまった。
3人の男(しかも大物すぎ…)が語る喜和子は
かわいらしさに満ちている。
そして、遠くへ行ってしまった柔らかいものをいとおしむように
彼らは語る。
こういう喜和子のような女性を「愛おしいもの」と見る男性も
減ってしまったのかもなぁ…。
それにしても。
昔の雑誌って結構激しいよね…
喜和子と元彼の三国連太郎の対談なんてさせるんだもの。
「あのころ燃えたよね、わたしたち」みたいなタイトルで…笑
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この記事に対するコメント
あの方ですか?(笑)
腹の底から熱い人間、女って感じなのよねえ、
キワコたん。
(ヒトミさんもそうなれば、もっとステキ
なのにー、って大きなお世話)
って言ってもキワコたん、私もあまり知らなくて
白い巨塔も見たいと思いながらまだで、
でも実物とは祇園の某店で遭遇したことあんのよ、
16〜7年前。
ちっちゃくて、可愛かったよお。
しかし同じ本読んでても、こんな感想文書けねー。
うたぎくたんのスゴさを思い知った夜。
>16〜7年前
そのお年頃に「祇園の某店」にいた
そんな姐さんも気になる…笑
白い巨塔、ほんっとお勧めだから!
しかも唐沢版と田宮版を見比べると
また面白いから!
田宮版は、太地喜和子もいいけど
山本陽子も綺麗なのよ〜
唐沢版は、まぁ俳優さんたちというより
脚本と演出がもう全然ダメなんだけど。笑
時代によって、その「年齢」の姿が
全然違うんだなぁと思いますわ…
今、テレビ見てたら20年前くらいの
黒木瞳が映った。
この頃、すっごいかわいいじゃん…(遠い目
いつからあんなアイコンに…