地味な女子の読書とか映画とか。

現在、海外暮らしのため 不定期に更新しております。本が読みたい。
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三島由紀夫:愛の渇き

4101050031愛の渇き
三島 由紀夫

新潮社 1952-03

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杉本悦子は、女性問題で彼女を悩ませつづけた夫が急逝すると、舅弥吉の別荘兼農園に身を寄せ、間もなく彼と肉体関係に陥った。彼女は夜毎、弥吉の骸骨のような手の愛撫を受けながら、一方では、園丁三郎の若々しい肉体と素朴な心に惹かれていく。だが、三郎には女中の美代という恋人がいることを知ったとき、悦子は……<神なき人間の逆説的な幸福の探求>を主題にした野心作。


精神の恋??
…はて…
わたくしにはこの話がわかるようでわからなかった。
ほとんどセリフのない(?)三郎の笑顔や肉体の描写は
山田詠美の小説のようで素敵…といえば素敵なんだけども。
それにしちゃあ三郎がバカすぎじゃないのかなぁ。
美代とやることやったらそりゃあ子供もできるだろうし。
それが目の前に女子がいて、流れるままにしちゃった。
え?恋?愛?それって何だかわからないんだけど。
…って動物じゃないんだから。
信仰する宗教の祭りのために実家に帰って、そのことを母親に話して
母親も「そんな女捨てちまいな」っていうのは
なんちゅう宗教だろう、と…(黒)
もし、それが彼らの人間性だけの問題だったら、ここに敢えて
その宗教、宗教団体の名前を出す必要性がない気がするの、だが。

そして、悦子も観念的すぎるのかも。
悦子はどうしたかったのかなぁ。
三郎とどうなりたかったのか。
頭の中で考えて、それで小娘以下の行動をとって
それが受け入れられなかったら逆上する。
だけどリスクをとる気もない。
もちろん身分の話もあるのかもしれないけど。
主役の悦子がほれる相手にしちゃあ、三郎はただのアイコンすぎるよう。
精神の象徴が悦子で、肉体の象徴が三郎なのか。
そしてそれは相容れることは決してない、というわけか。

しっくりいってなかった前の旦那が死ぬ寸前、
彼は初めて悦子のものになった。
彼が健康になって再び悦子の前に現れる可能性がなくなってから。
そこに美と愛を感じているのは
「音楽」の麗子にも似ている。
そういう立場でしか燃えない心もあるのかもしれない。
だから、三郎も最後は悦子のものになったのかもしれないけれど。

そんな悦子を恐々と、そして時には無言の圧力をかけながら
見守る弥吉が一番人間っぽいのかもしれない。

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